送料無料

   

吉向焼 八代吉向十三軒造 鉄絵春駒蓋置

吉向焼 八代吉向十三軒造 鉄絵春駒蓋置
商品番号:4309908
価格:  7,000円
(税込 7,700円)
残り数量: 1


詳細写真(画像にカーソルをあわせていただくと拡大画面の写真が切り替わります)



閉じる
  吉向焼 八代吉向十三軒造 鉄絵春駒蓋置
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    5.7 cm   5.7 cm  
状態は大変良いです。

※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
産地・種類 吉向焼
作家・窯元 吉向十三軒

詳細
状態 非常によい
素材 陶器
吉向焼(きっこうやき)  19世紀前期から続く焼き物の一種。現在は大阪府枚方市と東大阪市に窯元がある。作品は主に交趾風であるが染め付けのものもあり、現在は茶陶が主となっている。  伊予国藩主・加藤出羽守の家臣・戸田源兵衛高義の子孫、戸田武兵衛は焼きものが好きで四国の伊予で砥部焼を開業した。のちに摂津大阪十三村に移り十三焼と名乗り陶業を営んだ。その子治兵衛の代に大坂城代水野忠邦から吉向号を拝領して吉向焼と名乗った。  初代治兵衛の江戸での養子が江戸吉向(明治時代に廃窯)となり、大阪では亀治に受け継がれ、その後五代吉向治平のときに松月軒吉向(現在の松月軒、枚方市)と十三軒吉向(十三軒、東大阪市日下町)の二家に分かれ現在に至る。

吉向十三軒(きっこう じゅうそうけん)  陶芸家。大阪十三から始まった吉向焼窯元、十三軒吉向当主が代々名を継承している。 ・初代 吉向治兵衛(1784〜1861)  砥部焼の祖、伊予から十三に移り住んだ戸田武兵衛の長男。号は十三軒松月行阿。  父・武兵衛、楽了入、清水六兵衛、高橋道八に師事。  文政2年に徳川家の命を受け、水野候より「吉向」の二文字を、文政10年には片桐候より十三軒の印を拝領した。  大阪十三村、江戸、須坂ほかで作陶、御庭焼にも携った。78歳没。 ・二代 吉向亀二(1803〜1843) 初代の息子。号は松月。初代治兵衛のもとで陶技を磨く。大阪十三村で作陶。 40歳没 ・三代 吉向興右衛門(1809〜1863)  初代治兵衛の甥で、号は旭。初代治兵衛に師事し大阪十三村で作陶。54歳没。   ・四代 吉向一郎(1820〜1863)  初代治兵衛の養子。号は南城。江戸吉向の二代目。初代治兵衛に師事し江戸、須坂で作陶。43歳没。 ・五代 吉向治平(のち治兵衛)(1831〜1891) 二代亀二の長男で、号は十三軒松月。二代亀二、三代興右衛門に師事し上ノ宮(現在の上本町7丁目)で作陶。60歳没。   ・六代 吉向実蔵(のち治兵衛)(1866〜1933) 5代治平の次男、号は十三軒宗濱。五代に師事し、上ノ宮、高津神社北坂、天王寺公園内で作陶。裏千家御出入方を許される。67歳没。 (6代のときに吉向焼は十三軒吉向と松月軒吉向に分裂した。) ・七代 吉向治一郎(1904〜1970) 6代の三男。6代存命中に長男・次男が死亡したため三男の治一郎が7代を継承。号は十三軒雅正。6代に師事し、高津神社北坂、天王寺公園内、奈良県勝原村、東大阪市で作陶。裏千家御出入方。66歳没。 ・八代 吉向了一 (1948〜)  8代当主、吉向十三軒。7代治一郎の四男で号は十三軒。7代に師事し東大阪市で作陶。7代の長男、次男、三男ともに他業に進んだため、1971年に8代を襲名。裏千家御出入方。

鉄絵(てつ-え) 紅柄(ベンガラ)・鬼板(おにいた)などの酸化鉄を含む絵具・釉薬で釉下もしくは釉上に絵付した陶磁器。絵付けした部分が黒褐色・赤褐色などになる。絵志野・絵唐津などが有名。