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加藤唐三郎造 立鶴蓋置(共箱)

加藤唐三郎造 立鶴蓋置(共箱) SALE!!
商品番号:6934221
価格:  04月27日~05月07日まで 45%OFF
3,300円
(税込 3,630円)

6,000円
(税込 6,600円)
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  加藤唐三郎造 立鶴蓋置(共箱)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    5.7 cm   5.6 cm  
底部に若干汚れがあります。
その他には問題はなく、まだまだ使用可能な状態です。


※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
産地・種類 瀬戸焼志野焼織部焼
作家・窯元 加藤唐三郎

詳細
状態 よい
素材 陶器
瀬戸焼(せとやき)は、愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称。日本六古窯の一つ。瀬戸エリアで焼きものが作られ始めたのは古墳時代までさかのぼり、中世期に釉薬を施した陶器を生産していたのは瀬戸のみであった。    鎌倉時代に加藤四郎景正が、宋から施釉陶器技法を伝えたのが瀬戸焼の創始といわれ、灰釉・鉄釉を使った陶器生産が始まる。室町時代には日用品が多く作られていたが、桃山時代からは茶の湯の隆盛に伴って茶器が多く生産された。  鎌倉期の灰釉・鉄釉に加えて、 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部・鉄赤の釉薬が用いられる。

[加藤 唐三郎(かとう とうさぶろう) 日本の陶芸家。愛知県瀬戸市。 初代・加藤藤四郎景正より31代続く。 初代である加藤藤四郎景正は貞応2年3月道元禅師について唐に渡り、陶技を学んだ。安貞2年に帰国し瀬戸に窯を築いた人物で、瀬戸焼の祖といわれる。 二代 加藤藤次郎  黄瀬戸焼を発明。後に名を唐四郎と改めた。 三代 加藤唐四郎景國 四代 加藤唐四郎政連 五代 加藤唐四郎信政 六代 加藤唐四郎政光 七代 加藤唐四郎基実 八代 加藤唐四郎基房 九代 加藤唐四郎兼実 十代 加藤唐四郎基冶 十一代 加藤唐四郎政長 十二代 加藤唐四郎基時 十三代 加藤唐四郎政高 十四代 加藤仁兵衛基光 十五代 加藤仁兵衛景長 十六代 加藤藤三郎基久 十七代 加藤唐三郎久種 十八代 加藤藤左衛門景頼 十九代 加藤利右衛門景貞  初代景正より19代目の直系。江戸時代前期の陶工。 慶長13(1608)年に美濃・郷之木に移り窯を築いた。15年に徳川義直の命で弟の仁兵衛とともに赤津に戻った後名古屋藩の御用をつとめた。その際に唐三郎と改めた。以後唐三郎が継承されている。 二十代 加藤唐三郎景康  慶安3年、尾張藩主徳川義直の命で城下に窯を築き御庭焼をはじめ、御深井焼(灰釉に長石を加えた透明感の高いうすい水色の釉薬を使う)とよばれる。 二十一代 加藤唐三郎景則 二十二代 加藤唐三郎景定 二十三代 加藤唐三郎景友 二十四代 加藤唐三郎景藤 二十五代 加藤唐三郎景明(号・春洞) 二十六代 加藤唐三郎景久(号・春龍) 二十七代 加藤唐三郎景賢  十九代より二十七代まで尾張家の御用窯を勤めた。号は春賢。 二十八代 加藤唐三郎景良  号・陶仙。 二十九代 加藤唐三郎  本名次郎、号は陶泉。昭和17年に技術保存認定者の資格を取得。 三十代 加藤唐三郎(明治43年~昭和62年)  本名俊郎。二十九代の長男。昭和2年愛知県窯業学校を卒業後、家業を継いだ。 昭和18年芸術保存作家に認定。 三十一代 加藤唐三郎(当代)(昭和23年〜)  本名幸次。平成3年に三一代加藤唐三郎を襲名。 東海伝統工芸展、日本伝統工芸展などで多数の入選を果たす。平成20年、御深井技法で瀬戸市無形文化財に認定された。

織部焼(おりべやき)  織部焼は16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて現在の岐阜県東濃地方で生まれた焼物で、美濃焼の一種。  千利休の弟子であった大名茶人・古田織部が好みの茶器を焼かせたのが始まりで、織部好みの斬新で奇抜な形や文様の茶器などが多く作られた。一般的に歪んで多角形のものが多く当時としてはとても奇抜な焼物であった。  成形には型が多く用いられ、色彩は黒、濃緑、赤などが多い。釉薬の色になどにより、織部黒または黒織部、青織部、赤織部、志野織部などに分類される。織部黒・黒織部は茶碗が殆どで、それ以外の織部は主に食器類が作られている。